私がたった一人で塗装と闘っていた頃、会社は総力を挙げて新工場の建設プロジェクトを推進していました。ところがこの工場が「動かない工場」だったのです。
一体どうしてそんな事態になったのか?
新工場の貼合せ工程には、技術部が5年を費やして開発した「ST工法」が採用されることになっていました。しかしST工法は、期待通りのパフォーマンスを一度も発揮できないでいたのです。
とはいえ一旦決まった計画を止めるのは簡単なことではありません。
新工場の完成と同時に、多摩工場を取り壊して売却することになっていました。「全て順調」という建前でしたが、現実にはST工法は失敗していて、計画を強行すれば事業が破綻するのは明らかでした。
会社は決断を迫られました。
この時、技術部の同僚達は何も行動を起こそうとしませんでした。しかし問題は解決されずにそこにあり、期限は刻々と迫ってきます。私は焦燥感に駆られて呼びかけました。
「新工場にST工法を採用すべきなのでしょうか? スケジュールが優先なら古い技術に戻るという選択肢もありますし、技術革新が優先なら、きちんと検討する時間が必要です。お客様に不良品を売るわけにはいきません」
「そんなことをしたらST工法の失敗を認めることになるじゃないか。今までどれくらいの研究開発費をつぎ込んで来たか分かっているのか? 失敗は許されない」
とは言いながら、誰もがどこか逃げ腰でした。
本社では、あの黒田部長がプロジェクトに反対しているという噂を聞きました。
「黒田部長なら、きっと適切なアドバイスを下さるに違いない!」
しかし話を伺う機会もないままに、部長は何処かに異動になってしまいました。
誰にも相談できずに思い余った私は、とうとう一人で本社に出向き、総責任者だった常務を訪ねたのです。常務室の前で30分もためらってから、私はやっとドアをノックしました。
「お忙しい所、申し訳ございません。でも、どうしてもご相談したいことがあるのです」
「何だ?」
常務は厳しい目つきで私を睨み付けました。しかしそれは演技だったかもしれません。私も目を逸らさずに真っ直ぐな視線を常務に返しました。
「常務もご存じのように・・・ あの、おそらく常務もご存じのことと思いますが、ST工法はまだ一度も試作に成功していないのです。ですから技術部に少し時間をいただけませんか? 多摩工場の取り壊しを3ヶ月延期することはできないでしょうか?」
「そ、そうか・・・ 良い意見をありがとう。ぜひまた来てくれ!」
と言いながらも常務は立ち上がり、仕草で私を部屋から追い出しました。それは、たった2分ほどの会話に過ぎませんでしたが、常務室を出た時、私のシャツの両脇が冷たい汗でびっしょりと濡れて大きなシミになっていたことを今もはっきり覚えています。
「今、私は技術者として何をするべきだろうか?」
その日から私は青梅工場に戻って黙って実験を繰り返しました。それが技術者としての誠意だと信じたからです。
ST工法は、品質をギリギリまで落としてコストダウンを狙った工法でしたが、実際にやってみると品質が想定以上に低下して製品が売り物になりません。品質を回復するには接着剤の酸化を食い止める必要があり、そのためにラミネーターという装置を箱で覆って酸素を遮断するという試みが検討されたことがありました。研究所のシミュレーションによれば、
「通常20%の酸素濃度が3%を下回るなら、何等かの品質改善が期待される」
とのことでした。
ところが貼合せチームがどんなに頑張っても酸素濃度は10%にしか下がらず、実験装置は放置されていたのです。私はこの装置に目を付けました。
「なんとしても、3%を下回らなければならない」
私は線香を使って気流を観察しました。その結果、原材料に同伴して持ち込まれる空気の流れが想定外に強く、酸素濃度が下がらない原因になっていることを突き止めました。原因が分かれば対策は簡単です。若干の工作で同伴流を遮断すると共に箱の密閉度も増し、酸素濃度は遂に3%を切りました。
「とうとうやったぞ!」
この瞬間、私は問題の解決を信じましたが、品質は却って悪化しました。実験に手違いがあった可能性を懸念し、翌日に酸素濃度を再び測定してみると2%でした。やはり3%を確実に下回っています。
「そんなはずはない。何かが間違っている・・・」
途方に暮れ、私はラミネーターの前に立ち尽くしました。
「何が間違っているのだろう? なぜ品質は悪化したのか?」
他になす術もなく、もう一度、箱の中の酸素濃度を測定しようと蓋を開けた時、中に密閉されていた油煙がもわっと吹き出してきました。
「ずいぶん油煙が溜まっているんだなぁ・・・ え、油煙? あっ、分かったぞ!」
接着剤が酸素に触れて酸化することより、接着剤の分解酸化物そのものである油煙が健全な接着剤を汚染することこそ、品質低下の原因になっている可能性があることに私は気付いたのです。すぐに箱の蓋を取り払って逃げ道を作り、油煙が接着剤に触れない空気の流れを作りました。測ってみると酸素濃度は10%に戻っていましたが、今度は確信がありました。
「少しは効果があるに違いない・・・」
「吉川さん大変です! 今回はST工法の品質が良すぎます。従来品とほぼ同じなのです。こちらでサンプルを取り違えているのでしょうか? それともそちらで何かあったのですか?」
新工場の立上げを数日後に控え、評価チームから慌てた電話を貰った時の驚きを忘れることができません。やぶれかぶれの実験だったので、正確な連絡が行っていなかったのです。
それにしてもそれは想定外の効果でした。電話を切った後になってから、
「技術者として、問題の解決に成功したんだ」
という実感がじわっと込み上げてきました。新工場は生き返りました。それは本当に奇跡でした。現場には久しぶりに笑顔が戻っていました。
結果的に、会社は不良品を売らずに済みました。しかしそんなプロジェクト運営のあり方については深い疑念が残りました。
もし私の実験が失敗していたら、会社のブランドに傷が付き事業は破綻したでしょう。ST工法の失敗を自動化で補おうとした無理な試みが、新工場の設備投資を更に膨大なものにしていました。
「会社では誰もが最善の意思決定をしようとしているはずだ。 それにも拘わらず、時として特命必達の名の下に誤ったプロジェクトが実行に移され、動かない工場が建ってしまうのは何故なのだろう?」
まだ私にはよく分かっていませんでした。しかし、もし会社に適切なコスト分析がきちんとできる仕組みがあったなら、ST工法の失敗は正しく認識され、安心感のあるプロジェクト運営ができたでしょう。会社にそういう仕組みが無いことが私にはとても不思議に思われました。
「それならどうすれば、会社は正しい意思決定ができるのか?」
とはいえ、やっと入社5年目。大きな組織の中にあって、まだそれは自分自身の手に負えそうな問題ではありませんでした。これが、それから30年も続く疑問の始まりだったのです。
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