日本の失われた30年⑭ 副社長への手紙

この頃、人事制度の変更を契機に、全社アンケートが実施されました。
貴重な対話のチャンスにもかかわらず、アンケートに不満の声ばかり集まっていたらしいことが残念でした。前向きな意見や提案がとても少なかったのです。

「『お前らの頑張りが足りない』と言われても、具体的にやることを指示されなければどうしたら良いのか分からない!」
「『なんとかしろ』は指示じゃない。きちんとした指示も判断もできないなら管理職なんか要らない!」
「やったことの結果を誰もチェックしないから、遊んでいてもバレない。毎日どんなに頑張っても無駄だと思う」

では一人一人がどんな職場にしたいと思うのか? どうすれば前向きな議論ができるのか?

陰で不満を言うのは簡単ですが、公の場できちんと意見を述べるのは勇気と覚悟のいることです。それでも私は思い切って提案書を出してみることにしました。それが建設的な議論のきっかけになることを願いました。

ただ、今までのいきさつを思えば、たとえ真摯な思いに発した意見でも「会社を批判した」と言われてしまうことを恐れました。それゆえに自分の名前ははっきり書きませんでしたが、誰かに迷惑をかけないよう内容には特に注意しました。送付先は技術を統括する副社長です。

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<今般の制度見直しに合わせて、是非とも御考慮をいただきたいこと>
「この度は、今般の人事制度の見直しに合わせて是非とも御考慮いただきたいことがあり、お手紙いたしました。現状においては、現場の状況を正しく伝えようとする報告やデータを適切に取り上げていただける仕組みがありません。社内には、もっと対話の場が必要だと感じます・・・」
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「事件」は年始の全体朝礼で報じられました。その時どういう判断があったのか、私の提案書の全文が壁いっぱいのスクリーンに映し出され会社の数千人の従業員の前で読み上げられてしまったのです。会場はざわつきました。提案書の内容の是非については議論されないまま、直ぐに「犯人」探しが始まりました。

「そんなことをするのは、一体どんな奴なんだろうね?」
「犯人は誰だろう?」

隣の見知らぬ誰かが、何か楽しげに話しかけてきました。それに曖昧な相槌を打ちながらも、犯人呼ばわりされた私の血は凍り付いていました。

「私は決して間違ったことをしていないと思う。でも、もし提案者の身元が特定されたなら、私は処罰を受けるのだろうか?」

しかし、そんな騒ぎを制したのが副社長でした。

「むやみに騒いではいけない。一般従業員を装ってはいるが、この提案書を出したのは相当の人物だ。もっともな指摘も多いと思う。犯人探しは止め、改めるべきことは改めよう」

その御発言に希望を託し、私はその後も提案書を出し続けました。プロジェクト運営のあり方、技術者が自分自身で実験することの大切さ、技術開発におけるコスト把握の重要性、検査データの操作が行われていることの危険性、人材育成について・・・

ある日、遂に私は同僚の課長に呼び出されました。

「最近、無記名の提案書が何度か副社長宛に届いているのです。絶対に怒らないで下さいよ。もしかしたら、もしかしたらなのですが・・・ 犯人は吉川課長なのではありませんか?」
「そ、そうですか。で、それはどのような提案だったのですか?」
「これが、副社長の所に届いた提案書です」

自分が書いた文章を読む間、私は掌に冷たい汗をかきました。

「なるほど・・・でも私は『犯人』ではありません。罪に問われるようなことはしておりませんので。ただ、この提案の内容はもっともだと思われることばかりです。機会をいただけますなら、ぜひ副社長と直接にお話をしてみたいと願っております。その旨を副社長にお伝え下さい。宜しくお願い致します」

言葉を慎重に選びながら話し合いを要望しました。しかし再び呼び出されることはなかったのです。これ以上、副社長を無理に訪ねてみても建設的な会話はできなかったでしょう。

とうとう私は提案する努力も止めてしまいました。
一人の技術者として、やるべきことは全てやったと思いました。

それから3年後・・・
「会社が競争力をアップしていくためには人材育成が大切です。例えば、現場の優れた人材を育成するための社内マイスター制度のようなものがあったら良いなと、ずっと前から思っていたのですが」
「なんだ、そんな制度だったら、3年前に副社長の御発案で東日本地区の子会社がとっくに導入していますよ。吉川課長は御存知なかったのですか?」
「そうだったのですか・・・」

それが私の提案と関連があったのか、なかったのかは、私には分かりません。

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