気候変動をめぐる世界の足並みは揃わず、
国内・外から、脱炭素という目標に対する不協和音も聞こえてきます。
しかし、脱炭素の本質とは、気候変動防止だけではなく、
むしろ化石燃料の枯渇にどう備えるかということだと私は考えます。
日本の食料自給率は37%、エネルギー自給率は12%ですから、
今後も必要量の輸入ができるのかどうかについて、経営は真剣にリスク評価を始めなければなりません。
一般に、石油と天然ガスの可採年数(現状のまま掘り続けたらあと何年掘れるか)は50年、石炭は130年、原発燃料のウランは100年くらいだと言われているようです。
4つの化石燃料全体の可採年数を求めると80年ですから、2100年頃までは何とかなるかもしれません。
ところが・・・
この可採年数は現状のまま(つまりゼロ成長で)計算されてしまっていることの危険性は、今まであまり指摘されてきませんでした。
18世紀の産業革命以来、今日までの経済成長(≒化石燃料の消費量の伸びでもあった)は概ね3%でしたから、この3%を考慮して化石燃料全体の可採年数を計算し直すと、なんと40年程度(2060年頃に枯渇)になってしまうのです。
※3%で100年成長を続けると(19世紀)、消費量は約20倍になります
※3%で200年成長を続けると(20世紀)、消費量は約400倍になります
※3%で300年成長を続けると(21世紀)、消費量は約8000倍になります
さらに悪いことには、
資源はある日突然なくなるものではなく、資源の紛争や戦争、売り惜しみ、買い占めや投機、超円安の進行などの影響を受けるでしょう。
仮に10年は早く致命的な影響が現れると考えるなら、30年程度(2050年頃に枯渇)になります。
ところで、
経済成長は指数関数(ネズミ算)ですから、新資源・再エネ・原発だけでは全くカバーできません。
成長が2%、あるいは4%になっても、
あるいは新技術・新資源の発見で資源量が1.5倍程度になっても、
2050年頃に枯渇するリスクがあるという状況はほとんど変わらないのです。
もちろんこれは一個人の意見であり、もっと様々な見積もり方があって良いと思います。
大切なのは、経営が自らリスク評価を始めること、
そしてその結果に基づいて、行動することです。
リスクがないと判断するなら、特段何にもする必要はありません。
リスクがあると判断するなら、全力で備えなければなりません。
石油・石炭・ガス・ウランがなくなれば、
エネルギーなし、プラスチックなし、食料なしという時代に突入します。
(それは既に、昨今の物価高や超円安として表れ始めています)
そんな時代にどう備え、どう生き抜くのかが、
脱炭素という活動の本質であると私は考えます。
コメント
COMMENT