縄文海進は、再びやってくる

子供のころ、「縄文海進」を知り、とても不思議に思っていました。
縄文時代の貝塚分布を調べると、ひどく内陸に位置しているのです。

育った場所の近くには相模の国分寺がありましたが、その直ぐ近くまで海は来ていたとか。
関東の印旛沼・手賀沼・牛久沼・霞ヶ浦などは外洋と繋がっていました。
もっと顕著な例では、埼玉県の大宮あたりまで海だったことになる。

大阪だって、大阪城や四天王寺があるあたりが半島で、それ以外は海でした。

どうして当時はそんなに海が広かったのでしょうか?
そして、どうして今は海がこんなに後退しているのか?

その理由が、どこにも書いていなかったので、
ものすごく気持ちが悪かったのです。

その後、多くを学び、海面変動のメカニズムをはっきり理解しました。

ご存じだったでしょうか?
今から1万年前(たった1万年前です!)の海面は、現状より遥かに低かったことを。

なんと、日本は大陸と地続きで、瀬戸内海も陸地でした。
そこは象の楽園だったのです。

ところが、1万年前頃に海面が100mも上昇。日本列島は大陸から切り離されました。

5千年前の縄文時代には、海面が現状より5m高い状態に達しました。
東京も大阪も海面下でしたが、
その後ゆっくり海面が下降して、今日の状態になっています。

こうした変動を引き起こす原因は、実は地球の気温です。

地球の気温は概ね10万年周期で約10℃の変動を繰り返してきました。
気温の変化と同期して、海面も100mの変動を繰り返しています。

気温が10℃上昇すれば、海面が100m上昇し、
気温が10℃下降すれば、海面も100m下降する。
海面変動の大きさは、気温1℃あたり10mということになります。

実際、1万年前に10℃の気温上昇があり、氷河期を終わらせました。
日本周辺では海面が100mも上昇し、縄文海進を引き起こしたのです。

その後、ゆっくり気温は下降。
5千年で気温が0.5℃下がり、海面も5m下がりました。
それが現在の状況。

ところで、温暖化の問題を論じる時、
「0.5℃~1.0℃の上昇なんて、何の問題もない」という論調もあります。
でもそれが5~10mの海面上昇リスクに直結していることは、あまり論じられてきませんでした。

昨今の温暖化で気温は既に1.0℃を超えて上昇しています。
現状の気温が、すでに5千年前の縄文海進の頃の水準を上回ってしまっていることは、
イタリア・アルプスで発見されたアイスマンの事例によっても明らかです。
これから10m級の海面上昇は不可避でしょう。

現時点での多くの予想は、
2100年頃までに1m弱の海面上昇となっているようですが、
そこで上昇が止まるわけではなく、さらなる加速が予測されています。

「2100年頃に1m」という予想ですら過小評価のリスクがあります。

因みに、
北極の氷山は海面上昇に寄与しないという意地の悪い反論があります。
海面上昇に寄与するのは氷山ではなく、グリーンランドに乗っかった氷床(海面上昇7m分の水がある)と、南極大陸の氷床(海面上昇60m分の水がある)です。

まだ先のことかもしれませんが、全てのビジネスや公共投資は、海面上昇のリスクを考慮しながら進められるべきだと私は思います。

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