簿記試験を超えて⑰ 三輪山で、誓ったこと

「新しい会計を実践してみたい。そして一人一人の頑張りがきちんと評価される理想の職場を、自分自身の手で作り上げたい!」
そんな思いが募っていました。

そんな折、ある上場準備会社から製造部門の総責任者のポストを提案されました。
しかし、実際に行ってみると、できるはずもないコストダウンを命じられたのです。

「モノ作りにはコストハーフという言葉がある。1回やればコストは半分、2回やれば4分の1だ。
当社が生き残るにはそれしかない。
うちの作業者や下請けどんどん絞り上げ、指示された利益計画を死守するのだ!」

勇ましく空しい言葉ばかりが踊る毎日でしたが、厳しい状況を打開するための具体的なアイディアは、どうやら誰にも無いようでした。

「現場叩きや気合いのコストダウンだけでは会社はじり貧です。
もっと利益率の高い新しいビジネスモデルに挑戦していきましょう。
ここはぜひ私にお任せください!」

私は「夢の箱」という提案制度を作り、有志のプロジェクトを立上げました。
しかし企画が認可されることはなかったのです。

「新しいことなどやって失敗したらどうするのか?」

私は再び仕事を探さなければなりませんでしたが、エージェントからは冷たく突き放されました。

「あなたみたいな変なキャリアの人が一番困るのです。
技術者やったり、会計士になったり、コンサルをしてみたり、なんでも中途半端に投げ出して一体何がやりたいのですか?」
「私は何事にも全力で取り組みきました。
何かを中途半端な気持ちで投げ出したことは一度だってありません」

梅雨の晴れ間に、私は桜井の三輪山に登りました。
三輪山は、日本発祥の地とも言われる尊い山です。
その三輪山で、蒼く連なる山々と新緑に輝く木々を眺めながら、
今までやってきたことを静かに振り返り、これからやるべきことをじっと考えました。

「いつだって私は人の役に立ちたいと願い、会社のために精一杯に頑張ってきたつもりだ。
周囲の方々の思いにも敬意を払い、注意深く行動してきたと思う。
それなのに何度もこんな目に遭うのは、なんという不運な人生だろう・・・

否、でもそれだからこそ、何度も何度も不思議な出会いに救われて、ここまでなんとか生き抜いてきた。
これからだって、きっとやっていける。やるべきことがきっとある。
いつも勇気と感謝を忘れずに、頑張らなければ!」

そんな私を拾ってくれたのは、とうとう日本の会社ではなく、スウェーデンのグローバル企業でした。
そして関東の工場を、工場長としてそっくり預かることになったのです。

「私は多くの職場を経験しましたが、『良い職場』はなかなかありませんでした。
だからこそ自分の手で『良い職場』を作りたいと願っているのです。

日本人は世界でも稀に見る勤勉な国民です。
その日本のモノづくりが輝きを失ってしまったのには何か理由があるはずです。
私たちはもっともっと頑張れるはずだと思う。
一緒に取り戻しましょう、前に進む力を!」

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