東北大震災後の計画停電の混乱の中ではありましたが、私はある水力発電所に関する英文レポートを書き上げて国連機関に提出し、どうやら無事に受理されました。
こうして環境問題に直接取り組める排出権はやり甲斐のある仕事でした。
技術と会計と経営の専門家として、東京都内の様々な事業所で省エネの指導や審査も行っていました。
しかし日本国内では、環境問題への取り組みに対するバッシングが次第に激しさを増していたのです。
「排出権は欺瞞に満ちている」
「温暖化など存在しない」
「環境のことなんかどうでもよい・・・」
とうとう排出権の仕事も省エネの仕事も来なくなってしまいました。
その一方で、監査法人に転職してから4年、公認会計士になるための最終関門である修了考査が間近に迫っていました。
修了考査は延べ12時間に渡って行われる厳しい試験です。
その厳しい試験で必ず平均点を確実に超えなければなりません。
たかが平均点とはいえ、競う相手は毎日100%財務監査に専念して経験を積んでいる優秀な若手の会計士補の方々なのです。
排出権という大きな寄り道をしてしまった私は自分の苦戦を予想しました。
この考査をクリアしなければ、いつまで経っても見習いです。
私はどうしても財務監査にどっぷり浸かる生活に戻らなければなりませんでした。
「新しい知識を持って、はやくモノづくりの現場に戻ろう!」
2011年7月には史上最後となるスペースシャトルが打ち上げられました。
また1つの時代が終わったのです。
そしてその冬、私は修了考査を受けていました。
合格発表は2012年の5月21日でした。
奇しくも金環日食になると予測されていたこの日、群馬の空は快晴でした。
朝7時30分、どこまでも青く澄んだ大空に、129年ぶりだという鮮やかな金色の環が現れました。
その2時間後、私は自分の名前が合格者リストにあることを確認しました。
会計士を目指して勉強を始めてから9年と22日、
「絶対に起こるはずがない」
と言われた奇蹟は起きました。
それは長く厳しい道程でした。
私は48歳になりました。
今、私は信じています。
誰もがそれぞれの運命を背負い、どうしてもやり遂げなければならない何かがきっとあるのだと。
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