簿記試験を超えて⑪ え、吉井ですって?

様々なことを学びながらも、私は進路について悩んでいました。

私が会計を学んだのは製造業の合理的な経営のためです。
ですから技術と会計、現場と経営を結び付ける道を摸索したかったのです。
しかし見習い会計士にすぎなかった私に、チャンスはなかなか巡って来ませんでした。

この頃、世界では地球温暖化防止に向けた取り組みが盛り上がっていました。
私はCO2の排出権に興味を感じました。排出権は、技術と会計を結び付け、経営上の計画と日々の目標管理を結び付けていく仕組みに他ならないからです。技術者としての経験も活かせます。

「今の自分にできることは限られている。しかし何か行動を起こさなければ。
せめて地域のボランティアに参加し、環境問題への新しい一歩を踏み出してみよう!」

直ぐに群馬県の環境教育林活動に申し込み10月の会合に参加してみましたが、下草刈りや間伐などの負担がボランティアでは担いきれないと、消極的な議論になっていました。

同じ10月の30日には、あるクライアントの方と会い、こんな話になりました。
「それにしても、どうして40歳を過ぎて会計士になろうなんて思ったんですか?」
かいつまんで事情を説明すると、
「そうだったんですか・・・人の運命って不思議なものですね。
自分の運命を信じて頑張れば、きっと不思議な出会いがあって道は開けて行くのかもしれません」
そんな会話になりました。

そして翌10月31日のこと、高崎の連絡事務所にたくさんの来客があったので驚きました。
「どうしたんですか? 一体、今日は何があるのですか?」
「いや、実はね、今度うちの監査法人がCSR活動(会社の社会的責任)の一環として日本のどこかで環境教育林に関わる活動をやろうということになったんだけど、うちの創業者の等松先生の御出身地が群馬の吉井だったという縁で、どうせならそこで活動するのが良いと決まったのだよ。

今日はね、予定地の現地視察なんだ。
このあたりは吉川さんのお膝元なのだから、ぜひ積極的な参加をお願いしますよ!」

「えっ? 吉井ですって? そうだったのですか・・・もちろんですとも。ぜひ私にお任せ下さい!」

新しく学んだ知識の故に会社を追われ、6月に慌てて転職して来た大手監査法人でした。
その監査法人の創業者のご出身地が吉井町だったことも、東京の本部でそんな決定がされていたことも、私は知らなかったのです。

奇しくもそれが5年前に会計士への挑戦を決意したその場所であったことが、とても不思議な巡り会わせでした。単なる偶然とは思いながらも、それでも何かに励まされたような気がしてならなかったのです。

運命を信じて頑張れば、きっと人は強くなれるのだと私は思いました。

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