簿記試験を超えて⑩ 44歳の新米会計士

2008年6月、どうやら私は大手監査法人の一員になっていました。
「吉川先生、本日は宜しくお願い致します」
「では、まず金庫の現金から確認を致しましょう」

監査法人に転職して間もなくのこと、私はクライアントの店舗の棚卸に立ち会っていました。
普段は決して立ち入ることが無いお店の裏側の一室で、事務の方に手提げ金庫を開けていただきました。

ところが・・・ 技術者としてキャリアを積んできた私はお金の扱いに慣れていませんでした。
例えば、お札をトランプのように束ねて鮮やかな手つきで数えてみせるという芸当など絶対に不可能だったのです。

張り詰めた空気の中、私が不器用に一枚二枚とお札を数え始めた時、誰かがくすっと笑ったようでした。

お店の方々は44歳の私を新米会計士だとは思わなかったでしょう。
どう見たって経験豊富なベテラン会計士です。
そのベテランが慣れない手付きでお金を数え始めた時、その場の空気が凍り付いたようでした。

電卓で集計作業をする時にも、左手のブラインドタッチで入力というわけにはいかず、右手の一本指で、電卓を見ながら、慎重に金額を打ち込んでいきました。
それにも拘わらず、合計が帳簿と20円ほど合いません!

「小銭を数え間違えたのか、それとも集計を間違えたのか・・・」

私の逡巡に気付いたらしい経理の女性の視線を感じ、額から冷たい汗が吹き出しました。
「せんせ~、大丈夫ですか?」
「いや、あの、大丈夫ですが・・・ 慎重を期してもう一度数えます」
もう一度、小銭の山を数えようとして立ち上がった時、床に張り巡らされた自分のパソコンのケーブルに足を取られて転びました。

私は、日本公認会計士協会が実施する実務補習にも通わなければなりませんでした。
補修は3年間、その最初の1年で全体の75%のカリキュラムをこなさなければなりません。
受験時代より更に忙しい生活が始まりました。

実務補習の最大の山場が、2月に富士山麓で合宿して行われたビジネスシミュレーション・ゲームです。
4人1組で「会社」を作り、人員の採用や資金調達をしながら仕入、販売、広告宣伝、ライバル会社の調査などを繰返し、ビジネスを拡大していくという設定で、2日間に渡って行われる対抗戦でした。

私たちの会社「ソクラテス」は、出だしは好調でしたが、1日目の夕方にスランプに陥り業績が伸び悩みました。
「景気の波」がくることを予測して慎重になりすぎたことが原因だったようです。

夜の中間発表では上から70位くらいになっていましたが、翌日には販売戦略を練り直して攻勢に転じ、経営の立て直しに成功しました。
最終的に120組中の総合2位となって賞金を稼いだのです。

すでに44歳、ゼロからの再出発でした。

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