誤った設備投資、不適切なコスト管理、プロジェクトの失敗、その度に無駄になる技術者の仕事・・・
そんな経験を繰り返すうち、私はどうしても自分の手でプロジェクトやお金の管理をやりたいと思うようになりました。
自分自身や日本の製造業の前途への深刻な危機感もありました。
とにかく生き抜いて行かなければなりません。
私と簿記の最初の出会いは30歳になる少し前、簿記2級への挑戦でした。
このとき、理解のできない強烈な違和感に当惑したことを覚えています。
それでも4年後の春、どうやら私は簿記1級試験に臨む運びとなりました。
ほんの少し過去問の演習をしただけという心許ない状況ではありましたが、いつも苦手だった商業簿記がこの時は過去問中心の出題で手堅く感じられたため、私は試験中に合格を確信したのです。
自分でも不思議な体験だったのですが、試験中に得体の知れない笑いがこみ上げ止まりませんでした。
そんな自分を奇妙だと感じました。
しかし試験後半、得意なはずの工業簿記で思わず苦戦し、科目の足切ラインを割り込む虞が生じました。焦っているうちに時間不足、それが原因で磐石の自信があった原価計算でケアレスミスをしました。その些細なミスの影響は、後に続く幾つかの小問にも及び大きな失点となりました。そして結果的には科目の足切を免れたにも拘らず、総合点が2点足りずに不合格になってしまったのです。
試験中にこみ上げた得体の知れない笑いと、たった2点不足の不合格、それは極めて異常な体験でした。
「原価計算のケアレスミスが、あと小問1つ後だったら合格していたのになぁ・・・」
そう思うと、いつまでも悔しさが治まりません。
でも案外簡単そうだったという感覚もあり、
「あと少し知識を補強すれば簡単に合格できるのではないか?」
と信じて受験を続けました。
しかし現実は厳しく、ようやく合格できたのは挑戦7回目のことです。
その間に5年の歳月が経過していました。
それでも「得体の知れない笑い」の悔しさがあればこそ、投げ出さずに簿記を勉強し続けたのですし、そうやっていつの間にか何度も何度も繰り返して学んでしまった簿記が、知らず知らずのうちに後で会計士試験に挑むための基礎となっていったのです。
それはまるで、見えない何かに導かれていたかのようでした。
5年もかかって簿記1級に合格した翌月、スペースシャトルが墜落しました。
この事故で私は進路変更を余儀なくされました。
折りしもITバブルの崩壊で会社の業況も悪化していました。
深刻な閉塞感の中で、1級合格によって自分の何かが変わったように感じていました。
そして会計と簿記に、会社と自分自身の活路を見いだそうと思ったのです。
それは単なる技術者だった頃の私には絶対あり得ない発想だったでしょう。
しかしこの時、私は簿記に秘められた手つかずの可能性に
ほんの少し気付いていたのかもしれません。
★今日から本気で、会計を学ぼう!
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