日本の失われた30年⑦ 5ヶ年計画

宇宙への無謀な挑戦が始まりました。
第3次選抜までの遠い道程に目眩がしました。まるで垂直な岩壁の前に立っているような感覚です。

それでも不思議と英語検定と書類選考を突破し、第1次選抜に進みました。
いよいよ本当に筑波宇宙センターに行けるのです。私はわくわくしてきました。

そして、奇跡的に第1次選抜も切り抜けて、第2次選抜への招待状を受け取ったのです。

第2次選抜は長いプロセスです。他の選抜メンバーと一緒に次のメニューを待つ間、先輩宇宙飛行士の毛利さんや若田さんと話をすることができました。

宇宙飛行士養成棟の待合室には映画も流されていました。その中でも特に状況にピッタリだと思われたのが「アポロ13号」という映画です。

1970年4月11日の現地時間13時13分に打ち上げられたアポロ13号は、月に到着する直前の4月13日、酸素タンクの爆発で、水なし酸素なし電気なしという極限状況に陥りました。

そうした危機を克服して全員が無事帰還できたことは、アポロ11号の月面着陸より意義のある史上最高のミッションだったと言えるかもしれません。

映画の最後の場面で、一旦途絶えた交信が再開しアポロが無事に地球に帰還できた瞬間、自分自身が宇宙センターに居るという臨場感とも重なって、思わず目に熱いものがこみ上げて来ました。

アポロ13号の物語の中でもとりわけ強く感銘を受けたのが、主席飛行管制官のジーン・クランツの鮮やかなマネージメントです。

事故が起きた時、想定を超える危機に直面した関係者は大混乱に陥り、宇宙飛行士の地球帰還は絶望視されました。

「状況が厳し過ぎる。救出は不可能だ」
「いや、まだ可能性はある」

この時、ジーン・クランツはこんな風に発言して混乱を収め、チームを纏めたといわれます。
「今は救出できるかできないかを議論する時ではない。絶対に救出しなければならないのだから、その方法を考えよう」
彼の卓越したマネージメントの力で、宇宙飛行士は地球に生還します。

「個々のメンバーの能力が高くても、技術力があっても、マネージメントが失敗したら組織は成果を出せない。人の力を生かすのも殺すのもマネージメント次第だ・・・」
そんなことを強く実感させられました。

選抜中には他の選抜者との交流もありました。

約10000人が願書を請求し、約1000人が実際に応募、約200人が第1次選抜に招かれ、こうして第2次選抜にやって来たのは40人位でした。

ここまで来ると、さすがに科学技術の第一線で働く錚々たるキャリアの持ち主ばかりです。
物理学者、地質学者、大学職員、外科医、航空工学の専門家、国際線や自衛隊のパイロット等々。しかし私は・・・

「ところで、吉川さんのお仕事は何ですか?」
「実は、あの・・・ 小さな合板工場で塗装をやっております」
「え、塗装とおっしゃいましたか? それはそれは、とても良いお仕事で・・・」
現実に引き戻された私は、顔から火が出る思いでした。

それでも確かに、塗装屋の私が自信に満ちた応募者中の40人に肩を並べて残ったのです。その結果に私は大きな勇気を貰ったのでした。

その後、第3次選抜ではスペースシャトルのトイレの話が盛り上がっていたそうです。無重力空間で正しく「狙って」用を足すのはそれなりに難しいそうです。特殊な設計のシャトルのトイレ体験をしたという5名の第3次選抜組は、約2ヶ月の選抜プログラムの間、様々な分野の素晴らしい方々と出会い、幅広い体験をしたようでした。

「もう少し頑張れば、私も第3次選抜に残れるかもしれない」
「もし第3次選抜に残れたら、新たな人生の展望が開けるかもしれない。なんとかして残ることはできないだろうか・・・」

数年後にも再び選抜に挑戦し、再び40人に残りましたが、その先には進めませんでした。どうしても第3次選抜に行きたいという思いが募りました。

3度目の挑戦の機会が5年以内にはあるだろうと想定し、全力で準備することを決意しました。
そして、それまでに自分を改造する計画「5ヶ年計画」を立てたのです。

<5ヶ年計画>
★TOEICで900点を超え、英語力をアピールする
★パラグライダーを始めて、大空への意思をアピールする
★宇宙ステーションでの様々な業務を想定し、以下の資格を5年以内に必ず取得する
※機械保全技能士1級
※電気保全技能士1級
※電気主任技術者3種
※通信主任技術者1種
※陸上無線技術士1級
※ネットワーク・スペシャリスト
※放射線取扱主任者1種
※測量士補
※環境計量士・騒音振動
※環境境計量士・濃度
※気象予報士
※潜水士
※水上救難員・・・

取得を目指した資格の大半は、技術者としての仕事にも活かせるスキルになるはずでした。

「5ヶ年計画を達成すれば、本当に宇宙飛行士に選ばれると思っていたのか?」
と問われるなら、正直なところ答えは「NO」です。

しかし人は具体的な目標がなければ本当に本気になれません。
私も宇宙飛行士という明確で具体的な目標を持つことで、弱い自分を強く律して困難なゴールに向かって頑張ることができたのかもしれません。

2001年の夏、私は初めてパラグライダーで大空に飛び出しました。飛び出す瞬間までの怖さと、飛び出した後に知った空の広さが対照的でした。

ところで、私は2回の宇宙への挑戦によって、人の潜在的な力の大きさに気が付きました。誰もが無限の可能性を持っています。そんな可能性を縛っていたのは勇気の不足だったかもしれません。しかしこの時、思い切ってやってみれば何かが達成できる気がし始めてもいました。

「こんな世界があるなんて、思ってもみなかった・・・」

飛び出してみて知ってしまった青空の無限の広さでした。高度1300メートルから着地点に向かってゆっくりと旋回を始めた時、初めて経験する大空の無限の広がりに戸惑いながら、私は新しい目標に賭ける決意を確かめていました。

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