日本の失われた30年① 塗装工場からの出発

小さい頃から地球環境が心配でした。
学生時代には「未来はあるか」という本を読みました。人口爆発、資源の枯渇、食糧危機、地球環境の急速な悪化に恐怖を感じました。

世界経済の拡大で、問題は確実に悪化していきます。もし何も手を打たなければ、日本も深刻な危機を迎えることは確実です。

ある歴史の教科書にはこんな風に書かれていました。
「かつて人は狩猟採集という資源収奪型の経済システムで生きて来た。
それを農耕という再生産型システムに切り替えた時、人類は飛躍した」

しかし結局のところ、
私たちは産業革命によって、地下資源を収奪する経済システムに逆戻りしています。
人間社会が繁栄を続けてくためには、経済システムを再生産型に復帰させ、資源をムダにしない暮らしに移行しなければならないことは明らかです。

とはいえ、
そんな途方もないテーマにどう取り組めば良いかは私には分かりませんでした。どう考えても利害がぶつかり合う会社や社会の仕組みに手を付けるのは難しそうでした。

それよりは、
何か画期的な技術を開発することこそ、人の役に立ち、社会問題を解決できる穏やかで確実な早道だと思ったのです。
「技術者になろう!」

大学院の修士課程を終えると、私は大手製造会社に就職しました。
当時は日本製造業の全盛期、経済はバブル真っ只中。

その製造会社では、なぜか東京・本社に配属となりました。
技術者として経験が積めないことが不安でしたが、本社ビルへの通勤には晴れがましさもあったのです。

そして、入社から4ヶ月ほど経ったある夏の日の午後のこと・・・

「さあ、出かけるよ」
と上司に言われて電車に乗りました。2時間かけて着いたのは山々が間近に迫る多摩地区の小さな合板製造工場でした。この子会社こそが本当の配属先だと告げられたのです。

「なぜ、今まで本当の配属先を教えていただけなかったのですか?」
「そうねぇ、大学院卒の新人をこんなみすぼらしい工場に配属したら直ぐ辞めてしまうだろ。だからしばらく本社に座らせて、いい気持を味わって貰ったのさ」

騙されたと私は感じました。

その多摩工場には、合板を製造する「貼合せ工程」と、そこに塗装済みのアルミシートを供給する「塗装工程」がありました。どちらもハイテクからは程遠い現場でしたが、とりわけ汚い塗装工程の技術担当を命じられたことはショックでした。

「自分の仕事は、塗装かぁ」

学生時代の友人と話をすると、皆、はるかに格好の良い仕事に就いていました。
自動車エンジン、半導体、液晶テレビ、原子力、金融機関のシステム開発などなど・・・

そんな中、
「汚い塗装工場に配属され、合板にペンキを塗っている」
などとは恥ずかしく、誰にも自分の仕事を正直に言えなかったのです。

私は直ぐに転職を考えました。しかし当時はインターネットなど無い時代。
辛うじてエージェントに面接を勧められたのは、ある機械メーカーでした。

「さて始めましょう。まず、なんで転職しようと思われたのですか?」
「あの・・・」
「うちに来て下さったら、あなたはどんな貢献をしてくれますか?」
「はあ・・・」

それは、それまであまり真剣に考えたことのなかった問題でした。
「A社に行った。面白くなかった。だからB社を受けてみた」
それだけのことです。しかしこの時はじめて、人を受け入れる側の思いを知ったのです。

どうやら面接には合格しました。しかし私はこんな風に感じていました。

「今の仕事が嫌だという理由で転職しても問題の解決にはならない。どこの会社にも嫌な仕事はあり、乗り越えなければならない課題がある。今の会社にある課題を解決できなければ、次の会社にある課題だって解決できはしないだろう」

私は転職を思い止まりました。そして、
「もう少し、この職場で頑張ってみよう」
そう覚悟を決めたのです。

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