資本主義社会じゃあ、なかった?

日本の経営では「利益」が目標にされてきましたが、
その一方で「WACC」が積極的に語られ、目標にされることは殆どなかったように思います。

そうした状況は、例えば以下の場面にも現れています。

<場面1>
例えば、損益分岐点においてWACCが考慮されることはありません。
他人資本(怖い銀行)に関わる借入金利さえ支払えれば「黒字」になり、経営責任が達成されたと判断されます。
自己資本(モノ言わぬ株主)はいつも置いてけぼりです。

<場面2>
B/S上の自己資本比率を高めるべき説明として、
「自己資本は返済不要で利子もないから(会社のタダ金)」として説明されるケースが多々ありましたが、これは誤りです。
自己資本でも返済や利子は求められますが、その手続きが他人資本と違うだけです。
しかも自己資本の方が他人資本よりハイリスクなので(株式は紙くずになることもあるので)要求されるリターンも他人資本よりずっと高いのです。

<場面3>
ニュース番組などで「大企業の利益留保が多すぎる」という報道がなされるケースがありました。
「利益留保を、もっと従業員に還元せよ」と。
利益留保がまるで会社のタダ金であるかのような言い方に聞こえます。
実際には、それは株主から預かって運用されている(筈の)お金であって、会社のお金ではありません。
正しく運用されている限りにおいて、社内留保が多いことには何ら問題はないのです。

<場面4>
「配当が年〇回もある優良株式」という広告を見かけたことがありますが、
ここにも、社内留保は会社のタダ金という感覚が潜んでいるようです。
本来、配当されようと/配当されまいと、社内留保が株主のお金であることに変わりはありません。
「理論上」は、配当されない社内留保は株価を上昇させます。
株主が、配当に相当する果実を手にしたいなら、一部の株式を処分すれば良いだけです(理論上は)。

なお、会社が自己資本をタダ金と誤解し、WACCを達成しなければ、
株式は暴落し、株式で運用されている年金や退職金も目減りすることになります。

そうならないためにも、株主には経営参加権が与えられ、
経営者にしっかり頑張ってもらうという仕組みになっているのです。

改めて・・・
WACCを目指すことの大切さ、
自己資本が会社のタダ金でないこと、
が認識されない状況が「資本主義」の名に値するとは思えません。

もし日本が「資本主義国」を自認するなら、
その基本を学校で教えるべきだと感じます。

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